離婚体験談 その4

離婚体験談

離婚して気づいた自分自身の未熟さ!人生で後悔しないために

妻との出会いから結婚するまで                       

私が離婚した妻に出会ったのは、中学に入学した直後です。妻は、私の隣の組に在籍していました。中学1年の2学期に、彼女にときめきを感じたのを覚えています。このとき、彼女が2学年先輩の男性と付き合っているのを知りショックでした。中学2年の5月の修学旅行で、彼女から告白され交換日記を始めます。その後、交換日記を止めたり、再開したりしつつも交際は自然消滅しました。

同じ高校に進学しましたが、お互い意識しながらも接触はなく時は過ぎ去ります。高校卒業後、二人とも田舎を出て都会の学校に進学しました。そのときも私は彼女のことが好きだったのですが、当時は携帯電話も無い時代だったので連絡先を知ることもできません。成人式の日に思い切って、田舎の彼女の実家に電話をしてみました。私は大阪に住んでいたのですが、ちょうど彼女は帰省しており連絡がとれ、とても喜んだのを覚えています。驚いたことに彼女は、私の自宅から電車で30分くらいのところに住んでいました。こうして、高校卒業の2年後に彼女と再会します。しかし、このときは彼女に付き合っている男性がいると告げられ、半年くらい寂しい思いまをしました。

次に彼女に再開したのは、私が足の怪我で神戸の病院に入院していたときです。このとき、初めて彼女と一夜をともに過ごします。後に知ることになりますが、彼女に娘さんがいることを私には教えてくれませんでした。その後、電話しても出てはくれなかったのです。

その2年後に、私は同じ職場の5歳年下の女性と付き合い始め、約7年間交際は続きました。交際期間は長かったものの他の男性と付き合い始めたため、あっさり別れました。その半年後に、田舎で開かれた同窓会で妻と再会します。このときは彼女に娘がいるのを知っていましたが、すぐに彼女にプロポーズしました。彼女は二つ返事で、オーケーしてくれました。そして、1997年12月25日クリスマスに入籍し、とても幸せだったのを覚えています。

結婚当初からお互いの過去の恋愛関係で衝突

結婚当初から二人で毎晩、食事をしながらお酒を飲むようになります。飲み始めは仲良く人生観や恋愛観などを語り合い意気投合するのですが、酔ってくると必ず、お互いの過去の恋愛関係のことで衝突しました。妻は特に、私が約7年間交際していた女性のことが気になっていたようです。過去に付き合っていた女性が私と同じ職場にいるのですから、当然のことでしょう。

狭い田舎ですから、何が起こるかわかりません。妻が、旅行で船を利用したときに、たまたま、私が長期間交際していた女性と隣同士になったそうです。この女性は妻に、私と交際していた頃のことをしゃべりまくったと妻から聞かされました。妻は、複雑な気持ちだったようです。私は、あきれて怒りもなく、そういう女性だったのだと感じるだけでした。しかし、妻には、嫌な思いをさせたなと、返す言葉がありませんでした。

妻の過去の恋愛関係についても話題になり、たびたび衝突を繰り返します。妻と結婚すると同時に私と養子縁組した娘の父親と交際して、なぜ未婚のまま子供を産んだのか私には理解できませんでした。最近、知り合いに聞かされたことですが、妻は不倫関係にあった男性との間の子を出産したそうです。

他にも娘を出産してから1年後に歯医者と同棲していたとか、妻は私に語りました。私は、そういう生き方には納得いかないタイプです。たかが1年ぐらいで、ほかの男と付き合わず子供を大事にしろと言いたかったのです。

私は、妻に対して中学生の頃から、ある種の固定観念を抱いていました。絶対的に信頼できる女性だという思いです。そのため、他の女性と交際していても、彼女のことを忘れることはありませんでした。今でも、そうです。その固定観念と20代の彼女の生き方のギャップが、夫婦喧嘩の原因でした。彼女のほうも、私に抱いていたイメージと現実の私には、かなりギャップがあったのでしょう。

夫婦の言い争いで、一番傷ついたのは私と養子縁組した娘だと思います。私に包容力がなかったとしか言いようがありません。

今、振り返ると、なんともばかばかしい話です。過去のことなど、どうでもいい、今ここです。夫婦になるとお互いのことを、すべて理解したくなることもあります。しかし、100%相手のことを理解することなどできません。だから、瞬間瞬間、どれだけ相手を愛せるかが重要だと思います。

離婚の最大の原因は借金

結婚当初、私の手取りは、5万円ほどしかありませんでした。借金のことは妻に打ち明けていましたが、二人で返済していけば大丈夫と妻は言ってくれました。私もなんとかなると簡単に考えていたのですが、さらに借金を膨らませるようなことが起こります。私の両親が生活費に困っているので、妻の名義で消費者金融からお金を借りてくれないかと言い出したのです。結局、私も妻もかわいそうに思い、妻の名義で消費者金融から100万円ほど借り両親に渡しました。ここから雪だるま式に借金が膨らんでいくことになります。

私は地方公務員でしたが、冠婚葬祭や飲み会の多い地域に住んでおり交際費に使う出費にかなりの金額が必要でした。両親は生活に困窮しており、家が銀行から差し押さえられるからといって500万円近い額を私が立て替えて返済したのです。

私の交際での浪費に加え、両親の浪費癖の肩代わり、妻にとってはとても耐えられることではなかったでしょう。

離婚に追い込まれた私

私の給料は、金融機関への返済に充てて、手取りはほとんどありませんでした。生活費は、妻の収入で賄うしかなかったのです。そんなとき、妻が職場で、ひどいイジメにあいました。暴言をはかれたり、職場不倫など根も葉もない噂をたてられたりしたのです。妻がこれまでにない精神状態に陥っているのが、私にもわかりました。

そして、とうとう2011年12月、妻は結婚してすぐに生まれた私の実の娘とともに、田舎を出て大阪に行くと言い出したのです。このままでは、中学生になる娘を高校に進学させることもできないと、私に訴えてきました。私は、そのとおりだなと返答するしかありませんでした。都会で生きていくためには少しでも収入は多いほうがいい、そのためには母子手当をもらいたい、だから離婚するしかないということです。私は、この言葉にも納得しました。妻の言っていることは、もっともだなと。

2011年12月25日に、私は離婚届にサインしました。妻と娘を空港まで送っていきましたが、私が話かけても二人ともほとんど無言です。私は寂しさとともに、人生の虚しさを感じました。人が理解しあうのは、とても難しいことだと思ったからです。

離婚で悲惨なことにならないためには優しさが大切!

私は今、娘が買った犬と元妻の弟が拾ってきた犬の2匹と一緒に、ひとり暮らしをしています。離婚してから8年間、犬2匹との生活です。言葉は話せなくても、犬たちがいかに私を愛しているかは、理解することができるのです。結婚生活は14年間でしたが、もっと妻のことを理解できたのではと今は、後悔の連続です。自分の未熟さのために、相手を傷つけていたことに気づきました。後悔しないためには、一瞬一瞬を相手に優しさを持って接することだと思います。離婚してもしなくても、あなたの幸福を祈っています。

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